『赤ひげ』の、知られざる歴史。
なぜ、赤ひげっていうの?と疑問に思われる方に伝えたい真実がここにある。
『赤ひげの由来』
昭和55年に設立されたヘアーサロン赤ひげ。当時の設立者である我々の師匠は昭和12年紋別郡興部町という道北のオホーツク海に面する漁師の町に生まれ、高校を卒業したのと同時に、大都会東京に1人修業の旅にでたのである。
漁師の息子であった彼は、紋別では知らないものがいないほどの人物であり、「陸のトド」と異名をとるほどの暴れん坊であった。トドといえば毎年冬になるとオホーツクの流氷と共に現れる「海のギャング」である。
その彼が知らない土地しかも漁師の息子とはまったく無縁である華やかな大都会東京につらい修行に旅立ったきっかけとなったのが1つの映画であった。当時、感動しない者はいないほどの名作『赤ひげ』である。
この映画を見た時、彼は心を打たれ涙しながら思った「おらも赤ひげ先生みてぇになりてぇ!そして人の役に立ちてぇ。」
「陸のトド」は、努力家であった、暴れん坊でありながら勉強もそこそこ出来た。しかし、漁師の町に育った自分が医師になるには困難であることは自分自身わかっていた、しかしあきらめられない彼は、他に何か人の役に立てる仕事はないものか?
日々、考えた「赤ひげ・・・赤。ひげ。あか。ひげ、ひげ・・・ひげ。ひげ・・・ひげ剃り。オォォォォォ・・・・・髭剃り!」そうか、その手があったか!
もうおわかりでしょうが、そのとおりです。医師と理容師も師が付くし。ちなみに漁師もそうですが・・・それは置いといて。
そして、器量人である彼は、どうせなら大都会で勉強したいと修業の地を東京にある、歴史の古い名店「アラカワ」という理髪店にさだめた。皆の反対をよそに、オホーツク海をあとにして大都会の荒波に立ち向かったのである。
「陸のトド」が「アラカワ」という東京の「荒波」に「あらわれた」瞬間である。
漁師の息子である彼に理容師への道は思っていた以上に過酷なものだった。見習いという仕事は、朝早くから夜遅くまで立ちっぱなし、シャンプーで手はボロボロ、先輩にはこき使われるし、夜中まで練習するし、クタクタになって帰って来たあとも立派な理容師を目指すため勉学に励んだ。使用した勉強ノートは1000冊以上にもおよんだ。
しかし、彼にとってそれは苦ではなかった、彼には夢があったからである。理容師としての『赤ひげ』になる夢である。
幾多の試練を乗り越えやっと理容師として一人前と認められた時、1人立ちを決意した、「お店を出そう!」。
当時、日本の中心である東京では有名店は、けっこうあったが。まだ故郷の北海道にはそんなにはなかった。先見の明を持つ彼は、北海道の中心都市である札幌市、その中でもはずれである厚別区に目をつけた。
厚別区は当時、札幌オリンピックの影響もあり、市営住宅がいくつも建設されていた、これからまだまだ人口が増える発展途上の土地であった。
彼は思った、「ここなら、赤ひげ先生みたいに人の役に立てるジャン!」
言葉もいつのまにか東京弁に変わっていた彼は、東京で修行した技術をここで役立てようと決意した。
そして、1件の小さなテナントを借り、お店の名前を『赤ひげ』と名づけたのである。
これが、『赤ひげ』という名の由来であり、その名は現在も「陸のトド」の弟子達により受け継がれている。
『赤ひげ列伝』より
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